アラビア書道の歴史
アラビア書道は、クルアーン(コーラン)と深い関わりを持っています。クルアーンはアラビア語で書かれ、西暦650年ごろに編纂されました。しかし、当時、アラビア文字は地域によって多様で、書き方も明確に統一されていませんでした。さらに、文字に打つ点の数や位置さえも一貫していませんでした。しかし、アッラーの啓示であるクルアーンを読み間違えないために、アラビア文字には点の打ち方や数が規定され、母音表記のための符号も追加されました。これにより、アラビア語の正書法が徐々に確立されていったのです。
アラビア書道の創始者として知られる人物は、アッバース朝時代の大臣であるイブン・ムクラ(940年没)です。彼はアラビア文字の形を体系的に整理し、幾何学的な法則と尺度に基づいて文字を書くことを可能にしました。さらに、ナスヒー、ムハッカク、ライハーニー、スルス、タウキーウ、リカーウの6つの重要な書体を確立しましたが彼の直筆作品は現在では残っていません。
イブン・バッワーブ(1032年没)は、イブン・ムクラの書法に優美さを加えた書道家として知られています。また、それまでコーランの写本で主に使用されていたクーフィー体に代わって、ナスヒー体が主流となりました。この変化には、獣皮紙から中国で伝わった紙への移行や、インクの材料がタンニン酸塩から煤から作られたミダードに変わったことが大きく影響しています。
アラビア書道の発展には、イスラム教が偶像崇拝を禁じているという要素も一因として挙げられます。クルアンの書写はアラビア語において重要な役割を果たし、優れた書家が輩出されました。
アラビア書道が最も繁栄した時代はオスマン・トルコ時代(1299年〜1922年)でした。書家たちはイスタンブールを中心に活動し、現代まで伝えられる主要な書体の基礎を築きました。
最も有名な能書家の一人は、ヤークート・ムスタウスィミー(1298年没)です。彼はイブン・ムクラやイブン・バッワーブを手本にし、六書体を改良しました。さらに、従来の平らなペン先ではなく、斜めに削ったペン先を使って文字を書く書法を始めた人物でもあります。
シャイフ・ハムドゥラー(1520年没)は、ヤークート・ムスタウスィミーの六書体をさらに改良し、特にナスヒー書体とスルス書体をトルコの好みに合わせて洗練させました。
ハーフィズ・オスマン(1698年没)は、伝統的な六書体を独自の美的基準で評価し、新しい書体を考案しました。彼はハムドッラーの書体を元にして独自の文字スタイルを生み出しました。
この時代の書道家たちは宮廷書道家として活躍し、スルタンたちに書道を教える先生となっていました。スルタンたちもアラビア書道を教養として身につけ、スルタンの署名には独特な形状を持つ書体であるトゥグラー(Tughlar)が使用され、美しいデザインが特徴として残っています。
インドにムガール帝国を築ぎ、後に有名なタージマハルを建造した第5代皇帝シャー・ジャハーン(1592-1666年)はアブドゥルハック・アマーナート・ハーン・シーラーズィー(1642年没)に霊廟内外、墓石、モスクにスルス書体でクルアーンの言葉を書かせています。
イスラム教の普及とともに、アラビア書道の書体も地域や時代ごとに様々な形が現れるようになりました。例えば、アフリカやマグレブ地方(現在のモロッコ周辺)では、クーフィー体を起源とするマグレブ書体という特徴的な丸みを帯びた書体が残り、独自の進化を遂げていました。
活版印刷技術の登場は、アラビア書道や書道家の立場に大きな変化をもたらしました。コーランの写本は手書きでしか認められませんでしたが、1727年にイスタンブールでリトグラフ印刷術が導入されることで印刷が可能になりました。
1924年にエジプトのカイロでクルアーンの活字印刷が許可されるようになると、イスラム教徒の手に入りやすくなり、書道家へのクルアーン写本への依頼が漸減しました。
書道家たちは、新聞や雑誌の見出し、広告のロゴの作成などでしばらく活躍しましたが、1970年代になりコンピュータの普及とともに、これらの仕事もなくなりました。アラビア書道はクルアーンの写本としての役割から純粋な芸術の領域へと移行して行きました。
近年の著名な書道家としては、当代一と言われたトルコのハーミド・アーミディー(1982年没)、サイード・イブラヒム(1994年没)などを挙げることができます。
また、最近では、エジプトのホデイル・アルブルサイーディ、米国のムハンマド・ザカリヤ、トルコのムハンマド・オズチャイなどの名前が挙げることができます。
書道家が書道をモチーフとして、アートの世界に進出するものも増えてきました。
ハッサン・マスウーディーはフランスで活躍しているアラビア書道家で、竹ペンの代わりにボール紙を小さく切ったものを使ってアラビア文字を描くのを特徴としています。
また、中国人書家ハジ・ヌール・ディーンは中国書道を取り入れた独自の書体を編み出しています。日本人書家本田孝一のように、伝統的な書法を守りながらも、宇宙や自然の雰囲気を背景にした斬新でかつ深遠なデザインを取り入れた作品を制作する書道家もあらわれており、伝統的なアラビア書道の世界も少しずつ多様化し始めたと言うことができます。
なお、現在でも結婚式の祝い文字、会社のロゴ、広告、看板、垂れ幕などでは書家によるアラビア文字が利用されることがあります。
伝統的なスタイルのアラビア書道は、師匠が弟子を取り、直接伝えるという形で残っています。これらの書道作品に伝統的なデザインを施す技術(テズヒーブ)も残っています。
弟子は師匠からイジャーザ(許可書)をもらうことができれば一人前とされ、自分の作品にkatabahu(『彼がそれを書いた』の意)と記すことができるようになります。
(参考:イスラム書道芸術大鑑 本田孝一訳・解説 平凡社
「コーランの世界」大川玲子著 河出書房新社)