当初クルアーンは書いたものにされていませんでした。
預言者のもとにはアッラーの啓示を記録する者たちが24~26人おり、彼らはナツメヤシの葉や石版、あるいは動物の皮などに記録していました。また預言者ムハンマドのもとには多くのハーフィズ(クルアーン暗誦者)たちがいました。啓示の都度記録されたアルクルアーンは預言者生存中は彼の家に保管されていました。
632年に預言者ムハンマド(マホメット)が亡くなくなり、その後、啓示はムハンマドとその教友(ムハンマドに直に接し啓示を記憶した者たち)の暗記によって記憶され、口伝えで伝承されていました。
しかし、次第に教友たちも老いて亡くなりはじめましたので、その教えが忘れ去られないようにクルアーンの文字化が図られ始めました。このように書物の形にまとめられたクルアーンのことをムスハフと呼びます。
しかし、イスラーム共同体全体としての統一した文字化は行われなかったので、次第に伝承者や地域によって内容に異同が生じたり、伝承者による意図的な内容の変更や伝承過程での混乱が生じはじめて問題となりました。
第3代正当カリフのウスマーンはこれに危機感を抱いてクルアーンの正典化を命じ、650年頃、ザイド・イブン=サービトらによってクルアーンの編集・文書化が行われて1冊のムスハフにまとめられました。ウスマーンは公定ムスハフを標準クルアーン(ウスマーン版と呼ばれる)とし、それ以外のムスハフを焼却させました。このためウスマーン版を除くムスハフは現在までのところ発見されておらず、クルアーンに偽典や外典のたぐいは存在しないとされています。